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島根県大田市内浄土真宗本願寺派の3つの組(そ)【大田、石東、三瓶】42のお寺が合併して、「大田東組」が誕生しました。

大田東組 役員改選年度 定期組会

日時:2024(令和6)年3月31日(日)
会場:大田商工会議所 2階ホール
 役員改選年度にあたる今年は、定期組会を開催し、令和6年度からの大田東組の組長、山陰教区の教区会議員の選任と承認を行いました。


おつとめ「讃仏偈」 副組長 菅原 憲(正蔵坊)


あいさつ 組長 福間信隆(極楽寺)


資料および出席者の確認 副組長 三瓶 暁(徳善寺)


議長・副議長選出 
 議長 菅本了道 さん(立善寺 僧侶議員)、副議長 森山賢一 さん(浄賢寺 門徒議員)


任期満了に伴う 大田東組 組長選任と承認
 新 組長 岩根了達さん(浄賢寺)


山陰教区 教区会議員の選任と承認
 ①僧侶議員の選任と承認 徳川眞英さん(浄土寺)


 ②僧侶議員の選任と承認 小倉一義さん(善性寺)


閉会のあいさつ 副組長:菅原 憲(正蔵坊)


※次回「定期組会」
  期日:2024(令和6)年5月11日(土) 午後 場所:あすてらす

2023(令和5)年度 大田東組 僧侶・門信徒研修会(組講)

講師 宇治 和貴 先生(筑紫女学園大学人間科学部 心理・社会福祉専攻 准教授)
講題 「真宗における信と実践」~親鸞思想からのマイノリティ差別批判について~
日時 2024(令和6)年3月3日(日) 午前10時~ 午後1時~
会場 大田商工会議所2Fホール
主催 浄土真宗本願寺派 大田東組


 今年度の組講は「親鸞の信と実践」「真宗の歴史的研究」等の著書のある筑紫女学園大学の宇治和貴先生を講師にお招きして、親鸞思想からみてセクシュアル・マイノリティ差別をどうとらえ、LGBTQの当事者が現に苦しみを感じている状況において、私たち真宗門信徒や僧侶が何をなしていくべきかをひもといてくださいました。
 副組長 菅原 憲 様 導師にて 重誓偈の勤行


 進行は 仏教壮年会 会長 青木正三 様


 副組長 三瓶 暁 様による ご挨拶 並びに講師紹介


 当日は能登半島地震義援金の募金を実施


午前の部 講義Ⅰ

 今年の参加者は僧侶だけでなく門信徒の皆さんの参加が多く、門信徒の皆さんにも伝わりやすい講義となるよう心配りをしてくださった宇治和貴先生であった。


浄土真宗の位置づけは真宗学だけでは見えてこなかった
・仏教と社会との関係が明らかになる歴史学を学ぶことによって浄土真宗の位置づけが明らかにできる。
・私たちは、未だ来ていない未来だったときである現在にいつも存在し、その現在において歴史を今(現在)作り続けている。
・よりよき未来を作る存在は、現在(今)を生きている私たちである。
・釈尊の教説である仏法は僧伽(サンガ)が編纂した歴史的産物であり、生きる方向性を示している。
〈親鸞における信の構造〉

本願を自らの生き方の中心に据えようとするから、できない自分への反省として凡夫の自覚が成立する。
仏のように生きたいと願っていないのに、凡夫と名乗ることはできない
・凡夫と名乗るには、仏願に準じて生きようとする生き方がなくてはならない。
親鸞は仏道の実践を「自力」として否定していたわけではなかった
・親鸞は、自力のうちからは成立するはずのない「常行大悲」や「度衆生心」の実践を願うという経験。
・その経験の根拠を「他力回向の信」と理解していた。
人間の自己中心的な考えや行動をあらためて行くには、……
人間自身をよくみきわめる智慧
・その智慧にもとづいた、人を慈しむ心がなければならない。
仏教は仏(真理をさとった人)になることを教える(人格をつくりなおす)宗教
・つまり、自己中心のとらわれからはなれ、
・正しい智慧と慈悲の人格を作り上げることめざす


午後の部 講義Ⅱ

宗教の凋落
・世俗化の要因
     生殖・繁殖規範の急激な衰退(医療・経済の充実)
   宗教者・宗教関係者に対する嫌悪感情
   個人的選択規範の高まり、高収入者会
・伝統的価値観を強要する宗教に、個人として生きることに価値観を見出す世代が嫌悪感をを示す。
大多数者が「あたりまえ」と感ずることが、大変な暴力となり、少数者を傷つける


多数派がセクシュアル・マイノリティの当事者と向き合う中で生み出される問題
・LGBTQの当事者に起因するものではなく、社会の「常識」に起因した問題
・正座ができない人のために、本堂に椅子を用意するように、僧侶や寺院はあらゆる人が心安まり、穏やかな気持ちで参拝できるような工夫をすべきである。
生きづらさを抱えている人がそれを感じることなく、安らかな気持ちで過ごせる寺院はどんな人でも安心して参拝できる場所となるのだ。

統一教会の信者は熱心に選挙活動を手伝う。政治家や政党にとって好都合な存在。
・したがって選挙に行き、投票率を上げ、政治家にマイノリティに目を向けさせることも、全ての生きとし生けるものに幸いあれという願いの実現に向かう実践となりうる。
性に関する問題は低俗なものではない。全ての生物は性と無関係に存在することはできない
同性婚が認められず、連れ合いが命を絶ったその時財産も家族も全てを失う人がある
セクシュアル・マイノリティの当事者は自死率が高い
あたりまえだと思っている現状の中で克服すべき課題を発見するためには、タブー視されていた問題を直視することは、近道かもしれない。
親鸞が僧侶の結婚という問題をタブー視せずに取り組んだように、国際的で実践的な仏教・真宗教学を再構築したい。


 副組長 岩根 了達 様 による講師への謝礼と終わりの挨拶

前進座特別講演 花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま 大田講演

日時 2023年12月14日(木)14:30開演(14:00会場) 
                                        ※上演時間 約2時間半

場所 大田市民会館 大ホール

☆大田東組 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年 慶讃法要でも紹介されました。

大田東組 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年 慶讃法要

日時 2023(令和5)年9月30日(土) 13:00~16:30
会所 正蔵坊
 この度の親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年慶讃法要は、大田東組寺院・ご門徒をはじめ広く周知して、単なる生誕法要に終わることなく、親鸞聖人ご主著『教行信証』を制定された立教開宗(1224年)から800年の節目になる法要としてお勤めされました。
帰敬式
 法要前には、「帰敬式」を実施しました。

慶讃法要
 この度、新たに制定された「新制 御本典作法」を導師を福間信隆 組長、内陣出勤の結集には組内の若手僧侶を配して習礼を重ね、次の世代へつなぎ、新しい時代に願いをつなぐ法要とも考えて、心を込めてお勤めされました。また、楽は山陰教区雅楽声明の会「雅龍会会員」の方々が演奏してくださいました。


組長挨拶

 大田東組 組長 福間信隆がこの度の慶讃法要の意義や大田東組では、立教開宗以来連綿と受け継がれてきた浄土真宗本願寺派の伝統を十分に継承しながら、新しい時代に対応でき、次の時代へとその願いをつないでいくという位置づけと考えていることを述べました。
 また、記念講演をしていただく二胡奏者の姜暁艶先生を初め、ご支援ご協力いただきました皆様に感謝の意をお伝えしました。

宗会議員挨拶
 宗会議員である菅原俊軌 様から、大田東組の慶讃法要開催に対してお祝いのお言葉をいただきました。

記念講演 二胡演奏(姜暁艶先生)&トークショー 二胡とピアノ・雅楽の共演

・雅楽との共演
 法要の楽に続いて、二胡のを演奏でも山陰教区雅楽声明の会「雅龍会会員」の方々が共演してくださいました。二胡奏者の姜暁艶先生は二胡の演奏だけでなく、マイクを手に取って「三帰依」と「念仏」を歌唱してくださいました。



・ピアノとの共演
 正蔵坊門徒である宅和ちとせ様も二胡との共演をしてくださいました。


・二胡の演奏とトークショー
 自身と浄土真宗とのかかわり、シルクロードを介して仏教が日本に伝来する母国中国とのかかわりに触れながら、日本や中国、スペインの曲なども交えて二胡の音色とトークで会場を盛り上げ、参拝者と一体となって熱い公演をしてくださいました。また、音響を担当してくださった和田秀樹さんとの連携も秀逸で二胡の艶やかな響き、共演者との絶妙な音響バランスで聴くものを魅了してくださいました。


出演者・運営スタッフ 等
 出勤者や出演者はもちろん、寺族だけでなく、多くの門信徒や運営スタッフに支えられて実現できた慶讃法要でした。

2020(令和5)年度 大田東組 組講・門信徒 僧侶研修会


                           期日:2023年度3月5日(日)
                           場所:大田商工会議所3F
講 師:武田定光(じょうこう) 先生
    (元 親鸞仏教センター嘱託研究員・真宗大谷派因速寺住職)
テーマ:「なぜ? からはじまる歎異抄」


開会行事
・勤行「重誓偈」


・講師紹介
 著書「なぜ?から始まる歎異抄」は今日の研修のテキスト。
 江東区因速寺の住職として、毎月お寺で「御命日の集い」「ブッディサロン」など、様々な問題を抱える現代社会において精力的に砲座を開く。


・第2条 前編  往生って何?  

 生まれることが死の原因。自分の死について生きている人間は誰も知らない。他者の死を見て病気や怪我などが原因で死んでいく状況を客観的に見て自分の死をなんとなく類推しているに過ぎない。


・第2条 前編 念仏って何?

 生と死は一枚の紙の表裏。生という文字と死という文字を上下に一本の線でつないだ文字を私は「いのち」と読む。けがや病気などは死の条件に過ぎない。死の原因は生、つまり「生まれたこと」である。生と死が一枚の紙にくっついている。
 親鸞は念仏して浄土にいくのか地獄に行くのかは私は知らないと答えている。弟子は、安楽で安心な都合のよい浄土へ「念仏」で本当にいけるのかという「損得根性」で念仏をとらえている。浄土を待望するのではなく、往生とは行く先が地獄だろうと極楽だろうと、〈いま〉阿弥陀如来に任せられるかどうかの問題である。行く先は阿弥陀如来が決める。地獄を恐れない宗教の誕生。


第9条 信仰のマンネリズムとは?

 親鸞は「光明体験」は風化してくるもの、マンネリズムを引き起こす作用と知っていた。
他力は体験にしがみつき不動の精神状態をつくりだそうとするこころを揺さぶり不安にさせる。阿弥陀仏が私を揺さぶり目覚めよと叫んでいると受け止めることができる。
 「煩悩具足の凡夫」とは、阿弥陀仏からご存じで、自分自身でわかることではない。仏様の私への呼び声が煩悩具足の凡夫なのである。
 生から死へ移動する道は絶望道、修道論により煩悩を断ちきってさとりを開くのが成仏道、煩悩を断ちきる努力が煩悩から起こったものだと気づいた親鸞は、人間の思いでは「真実」を量ることができないので、あるがままの自己に帰り、量れ無い仏にお任せすること「南無阿弥陀仏」により往生道を歩む。


・後序(1) 救いの平等性とは?

 釈迦の跡をたどる細い一本道が縦型で初期仏教。浄土真宗の道は広く、360°で海とも表される広い道。横並びの広い道。その先には阿弥陀仏だけがある。自分が歩いた跡だけに道ができる。だから「善信の信心も、聖人の御信心もひとつ」である。


・後序(2) 二つのおおせ
 「親鸞一人」とは「あらゆる人々の中の特殊例としての一人」(特殊)、「あらゆる人びとを代表する一人」(普遍)である。「親鸞一人」が救われるということことは、あらゆる人びとが助かっていく普遍的な道理が開かれたという救済宣言である。
 仏典は「如是我聞」、私はこう聞きました、私はこう受け止めました、私はこれてすくわれましたという形式。受け止めた人間が経として執筆し編纂していくので増えていくのが道理。
 仏法は、時代や民族を超えて流れている普遍的な法則だから「私はこのように受け止めました」という人間が誕生しなければならない。お釈迦様が説かれたのだから絶対だど決めつけてはならない。


・後序(3) 親鸞を弾圧した〈常識〉
 「自力の心」が専修念仏を弾圧した。罪は旧仏教と通底する私の側にあった。実は、専修念仏を弾圧した悪人(私)こそが、「歎異抄」を読むべき人間。歎異抄が表層の意味で受け取られれば、いつでもこの書は弾圧を受ける可能性を孕んでいる。


・閉会 「恩徳賛」